自分らしく生きる

 

 私たちの時代は21世紀に入り、この10年を見ても急激な勢いで心に関することが、様々なところで見聞きするようになりました。

 

特に2010年以降、この「自分らしく生きる」ことへの関心が、非常に高まってきたように思います。

私は、1997年1月にセラピースタイルの心理学と出会い、それから気がつけばあっという間に16年(現在2013年5月)の月日が過ぎました。

 

1997年当時の本屋には、今のように平積みになった心に関する書籍はほとんど見ることができず、心理学というと学問分野の専門書的なものが主流を占めていた時代でした。

 

そのような意味では、「私たち自身を知り、自分らしく生きるとはなにか、生まれてきた人生の目的はなにか」ということへの目覚めの時代になって来ているように思います。

 

そして、心への関心が高まった今、心理学者のアブラハム・マズローが唱えた、「欲求の階層説」のピラミッドの最上段五層目にある「自己実現の欲求」の段階へと、人は移行しだしているように思います。

 

この「欲求階層説」を確立したアブラハム・マズローの信念は、「人間は自己実現を望むものである」と言っています。そして、アブラハム・マズローは、「人間の可能性は甚だしく過小評価されており、十分に解明されていない」と、すでに1960年代に自己実現の概念を考え出していたのです。
(※A.H.マズロー MASLOW ON MANAGEMENTを参照)


*参考までにアブラハム・マズローの「欲求階層説」をピラミッドの下から述べますと、
・第一階層「生理的欲求」…生きることへの欲求
・第二階層「安全への欲求」…安全に生きることへの欲求
・第三階層「社会的欲求」…所属していると愛されていることへの欲求
・第四階層「尊厳への欲求」…他者からの承認と自尊心の欲求
第五段階「自己実現の欲求」…自分らしさへの欲求


私は、2001年12月末に「A.H.マズロー MASLOW ON MANAGEMENT」の本に出会い、そして「自分らしさ」という「自己実現」の概念に衝撃を受け、それから「自分らしさ」の探求が始まりました。

 

 

それから約11年。そして、2003年3月2日に私がノートに手記した言葉から10年。ようやく先ほどの「使命」のところでも述べましたが、「自分らしく生きる」とは、「わくわくした気持ちの時と同じ波動、エネルギーで生きている」というところに辿り着いたのです。

つまり、「自分らしく生きる」とは、簡単にいうと、「わくわくした気持ちで好きなことをして生きている」ということなのです。

 

ですから、「わくわくした気持ちで好きなことをして生きていれば、『自分らしく生きる』ことができるということ」なのです。

 

しかし、「そんなことは気づいて知っている!」というみなさんからの声が聞こえてきそうなのですが、そうなんです!!

「わくわくした気持ちで好きなことをして生きようとする」ものの、それに気づいて分かっていても、「頭ではわかっているんだけど、行動を変えようとしようと思っているんだけど、いつも何かどうも上手くいかないんだよな。結局はいつもこのパターンを繰り返しちゃうんだよな」ということに、なってしまうのではないでしょうか。

 

これが、私が、「自分らしさ」を探求し始めてから、約11年間ずっと疑問に思い続けていたことなのです!!

そこには、「自分らしく生きる」ことを難しくさせていた、気づかない様々な罠があったのです。さらに私は、この罠にだまされずにもっと楽しみながら簡単に「自分らしく生きる」ことはできないのだろうかと考え続けました。

そして今、ようやくその答えにも辿り着いたのです。
それが、思いを現実にするための【心の五本の矢】の方法だったのです。

 

私はこの方法を使えば、「自分の夢を実現したい。理想のパートナーと結婚したい。今の自分の現状を変えたい。自分らしくわくわく生きたい。」など、「より多くの人が自分らしくわくわくした人生を生きるお手伝いができる」と心から思えたのです。

 

この【心の五本の矢】の方法を、すぐにでも知りたいと思われると思いますが、まずは、理解しておかないとあとで使うことができませんので、これからお話する「自分らしく生きることを阻んでいるトリック(罠)」をご理解していただき、その後に、【心の五本の矢】を是非お読みください。

 

 

自分らしく生きることを阻むもの

 

前述した、「わくわくした気持ちで好きなことをして生きようとする」ものの、それに気づいて分かっていても、「頭ではわかっているんだけど、行動を変えようとしようと思っているんだけど、いつも何かどうもうまくいかないんだよな。結局はいつもこのパターンを繰り返しちゃうんだよな」ということを、阻むものは一体なんなのでしょうか。

 

私の場合、前述のように「自分らしさ」を探求し始め、今まで様々セミナーやワークショップに参加し、至高の体験と呼ばれるものも体感しました。それらのおかげで、とても人生が生きやすくなったのは事実です。

 

しかし、セミナーやワークショップを受けて素晴らしい体験をしても、セミナーやワークショップに参加したことのあるみなさんの中には、私と同じような「参加する前よりはよくなっているものの、参加した気持ちが次第に薄れてきてしまった」といった経験をしたことがあるのではないでしょうか。

 

現実の社会に戻ってその中で生きていくと、日々小さなことから大きなことまで様々な悩みや問題に出くわしていきます。すると、気がつくと日々様々なネガティブな影響を受けているせいか、また気持ちが落胆してしまったりしているのです。

 

私は、「落胆することは日々生きていたらあって当然だと思うし、そこからまた成長のための気づきや学びがあるのだから」と思って、落胆している気持ちを処理してきました。

 

でも、簡単に処理できるものもたくさんあるのも事実なのですが、これがなかなかうまくできなかったり、先ほどにもあったように行動を変えようとするのですが、なぜか思うようにうまくいかないことがあるのです。

 

私は何度も何度も、「なんでうまくできないの?」と、初めのうちは「よりよくなるためにプロセスを踏んでいっているんだ」と思えていましたが、長くそんな気持ちを繰り返し味わっていくと、「いつまでつづくんだろう…」という気持ちになっていったのです。

 

そして、私は「自分らしく生きることを強く阻むものはいったい何なんだろう」と、疑問が湧いてきてその解決策をずっと探求し続けていたのです。

 

私がまず行き着いたのは、やはり私たちは、『今まで生きてきたなかで、信じこんでいることや信じるように教え込まれた「観念」に強く影響されて生きている』ことに起因しているということを、もう一度理解することから始めないといけないと思ったのです。

 

この「観念」というしくみを理解することが、「自分らしく生きることを阻む」ことへの解決策の基本となってきます。

 

観念のメカニズム

 

まず「観念」ということなのですが、「観念とは、私たちの感情や思考、言動ふるまいの根本を成すもの」なのです。つまり、この「観念」が、私たちの現実を創り出しているのです。

 

私たちは、信じこんでいることや信じるように教え込まれた「観念」から「感情」が出てきます。そのときには、ただ楽しい・嫌な「感情」を感じているだけで、そこには何の意味もありません。

 

私たちは、その楽しい・嫌な「感情」「思考(言語)」に落とし込むことによって、現実を創り出しているのです。この「観念」「感情」「思考」は、三つを瞬間的に行うという性質を持っています。そして、「思考」から「言動やふるまい」をするのです。

 

これが「観念のメカニズム」です。

 

この「観念」は私たちの現実を創り出している根本でもありますから、生まれて生きてきた分だけ、いいポジティブな「観念」も恐れからくるネガティブな「観念」も、私たちはたくさん持って生きています。
(※「観念」と「信念」は非常にわけにくいので、ここでは、ポジティブな「観念」、ネガティブな「観念」と、以下呼ぶことにします。)

簡単に例をあげますと、
「男とは、女とはこうあるべきだ」
「こんな私は幸せにはなれない」
「結婚していない親に心配かけている私はだめな子だ」
「幸せは苦労のうえに成り立っている」
「○○をすると不幸になる」
「人のために喜ぶことをしてあげる」などです。

 

では、もう少し具体的に「観念のメカニズム」(観念・感情・思考、言動やふるまい)はどういうことなのかを、例をあげてお話ししたいと思います。

 

例えば上記の「幸せは苦労のうえに成り立っている」というようなネガティブな「観念」を持っているとします。

私たちは、両親や誰かから「幸せは苦労のうえに成り立っている」と否定的に聞かされると、そこに「苦労」という嫌な感情を感じます。

 

そして、頭の中で「幸せは苦労しないと手に入らないんだ」と、「思考」を使って思い込ん(落とし込む)でしまいます。

そうすると、私たちは、次のような「言動やふるまい」をするようになるのです。

「○○さんは、本当に苦をもろともせずに頑張るよね」
「歯を食い縛るぐらいやらないと、いつまでたっても幸せになれないぞ」
「もっと簡単な方法があるのに、なんで○○さんはあんな苦行の道を選ぶのかな」など。

 

これが、「観念」「感情」「思考」、そして「言動やふるまい」の『観念のメカニズム』です。

 

観念が現実を創るトリック(罠)

 

さて、『観念のメカニズム』が理解できたところで、さらに「幸せは苦労のうえに成り立っている」という例を使って、「観念が現実を創るトリック(罠)」について説明していきたいと思います。

 

 例えば私たちが、「幸せは苦労のうえに成り立っている」と思っていると、
「幸せは苦労しないといけないから、もっと頑張らなければ」
「楽をしたら幸せが逃げてしまう」
「こんな簡単に手に入る幸せは本当の幸せではない」など、このようなことを思っていたりします。

さらにこんなことも。


「あんなに簡単に幸せを手に入れたら、あとで絶対バチが当たるわ。ほら、言わんことではないわ」
「俺はこれだけ頑張ってるのに、なんであいつはいとも簡単に幸せを手に入れられるんだ。絶対あいつは相手を騙しているに違いない。」
「楽で簡単にパートナーを手に入れたら、相手を幸せになんかできない。苦労して手に入れるからこそ、そこに本当の幸せがあるんだ」
「楽に簡単に幸せになった人は、俺とは別格の特別な人だ。生まれも育ちも違うんだ」
「幸せは、そんな簡単なもんじゃない。周りを見ても幸せと呼べる人なんかほとんどいないのが現実や」などなど。

 

つまり、私たちは、こうして知らず知らずのうちに「幸せは苦労のうえに成り立っている」というネガティブな「観念」をいつの間にかたくさんの理由付けをして強化させてしまっているのです。

 

私たちは、自分へのネガティブな感情の心の負担や思い込みが大きかった度合だけ、ネガティブな観念が大きくなり(大きく心に張り付いてしまったと表現した方がいいかもしれませんが)、そのガティブな「観念」が非常に強固な観念になってしまうのです。

 

そうなると、心の中で強く気にし過ぎている度合だけ、その観念が非常に強固な度合だけ、私たちは、「幸せは苦労のうえに成り立っている」というネガティブな波動(エネルギー)を、知らず知らずのうちに自分から外に出してしまっていて、「幸せは苦労のうえに成り立っている」という現実を創り出し、また引き寄せることになるのです。

 

こうしてネガティブな「観念」を強固にしてしまうことで、私たちは「観念が現実を創るトリック(罠)」にだまされてしまい、そのネガティブな「観念」のスパイラルに嵌ってしまうのです。

このことが、先ほどの幸せになろうとしても「自分らしく生きることを阻む」要因の考え方なのです。

 

知っていらっしゃる方も多くいるかもしれませんが、例えば「幸せになる」と思っても、この強固でネガティブな観念が、幸せになる心のブレーキになってしまって、思うように前に進めなくなるのです。

 

そして私たちを戸惑らせるのは、これらの強固な「観念」は、「潜在意識」というところに隠れているのです

潜在意識は、顕在意識とよく比較されて出てきますが、まず顕在意識は表面上に出て来ている私たちが理解する思考と呼ばれているところです。潜在意識は、意識として表面上に現れていない心の中で混在している感情といったらご理解できるでしょうか。

 

人間の意識が100%としたとき、顕在意識はわずか約3%~約10%と言われていて、残りの約90%~約97%が潜在意識と言われています。

だから、私たちは、この顕在意識に現れてこない潜在意識の中で混在しているに感情に、ときに振り回されてしまうのです。

 

この顕在意識に上がってこない潜在意識の中にある「観念」を見ていく方法は、ほとんどの心理学的アプローチやセラピー・カウンセリング・コーチングなど、この潜在意識の層を統合したり変容(癒す)したりしているように思います。

それに関わったことのある人にとっては、よりよく生きる手助けになっているのではないでしょうか。

 

次にいく前に、この潜在意識の層にあるネガティブな観念を一人でやっていくと陥りやすい罠がありますので、そのことについても触れておきたいと思います。

 

観念を掘り下げて見つけていく罠

 

 私の経験からお話をしたいと思うのですが、この潜在意識の中にある「観念」を見ていくとき、カウンセラーやセラピスト、コーチングのコーチなどと一緒にしている場合はいいのですが、一人でやったり、プロのセッションを受けたあとに一人でやったりすると、陥りやすい罠があります。

 

 私の例で説明しますと、
私は潜在意識の中にあるネガティブな「観念」が、現実を創る邪魔をしていることを知り、そのネガティブな「観念」を見つけ出そうとしました。

ネガティブな「観念」を見つけ出していくと、たくさんの気づきもあり、またすっきりすることもあって役に立つものでした。

 

しかし、やっていくと一つ終わったらまた次、また次とどんどん出て来て果てしなく続いて行ったのです。さらに、この作業はネガティブな感情も感じるので、最後はきりがなくて「あ~すっきりしないままやん」と本当に疲れてしまったのです。

 

さらに、下手をすると、「チャレンジしようとしてダメだった」といった新たな自己否定の観念を創り出したり、「私はやっぱりダメなやつだ」といったことを思ってしまう危惧を感じたので、一人でやるときはこの罠に気をつけてほしいと思います。

 

 

さらなる隠れた「観念」のトリック(罠)

 

さて、ここからが『心の五本の矢』への核心です。

私は心理学を勉強して、このことも「観念」の手法も理解して知っていましたし、ネガティブな「観念」を統合し、変容(癒す)して随分楽に生きることができました。

 

しかし、はじめのところであった、「自分らしく生きることを阻む」、頭ではわかっているのですが、これがなかなかうまくできなかったり、行動を変えようとしても、なぜか思うようにうまくいかないという壁にぶつかったのです。

 

そこで、私は、どうすればこの罠にだまされずに、もっと楽で簡単にできるのかと試行錯誤を繰り返し続けて、ようやく辿り着いたのです。

その答えというべき方法は、とてもシンプルでした!!

 

一例をあげると、
『「0」からはじめて成功している人たちが、この方法をやっていました!!』
『超人気のコンサートチケットをゲットした人が、この方法をやっていました!!』
『小さな子供が、この方法をやっていました!!』

実は、今この文章を読んでいるあなたもこの方法をやっていたのです!!

それも無意識に!!です。

 

小さな子供の例からいいますと、私たちは、どうやら知恵が付きすぎたようです。考えて行動する習慣が身に付き過ぎたようです。でも、それは、大人になっていくと身に付けるものですから、小さな子供のように分別のない傍若無人というわけにはいきません。

 

そこで、【心の五本の矢】という方法の効果的な点は、

(1)無意識にやっていたことを理論立てて、体系的に学んで理解することができるので、ネガティブな「観念」が創る出す罠に気づくことができます。

 

(2)しかも、実習を通して体験して身に付けていくができまるので、ネガティブな「観念」の罠にだまされないような方法を身に付けることができます。

 

(3)そして、身に付けば、いつでも使うことができるようになるのです。

 

私はこの方法を使えば、「自分の夢を実現したい。理想のパートナーと結婚したい。今の自分の現状を変えたい。自分らしくわくわく生きたい。」など、「より多くの人がわくわくした人生を生きるお手伝いができる」と、心から思えたのです。

そして、この【心の五本の矢】の方法は、


(4)最終的にマスターすれば、人に教えることもできるようにもなるのです。

 

 

心の五本の矢とは
 
【理想のパートナー】「観念が現実を創るトリック(罠)」を知りたい方は、【理想のパートナー】を引き続きお読みください。


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